2014年2月17日 (月)

おおかみ男の父を超える

ソチ五輪満載のテレビで運よく『おおかみこどもの雨と雪』を観た。
アニメはふだんは敬遠してほとんど観ないのだが
あまりに観る番組が乏しいので、ま、いいかと
チャンネルを合わせたのだが、これが予想外にアタリだった。
細田守監督、今まで知らなくてゴメンナサイ。

この物語の根底に流れているのは、おおかみ男とヒトの間に
生まれたこどもたちの、自分は何者?という自我獲得物語だが
それを静かに見守る母性も色濃く描かれる。
これはたぶんに原作者の理想の反映と思えるが
この強い母性はおおかみ男を伴侶とすることも厭わなかった
積極的で確固とした女性性があってのことだろう。
でも、その後の苦労は子どもを育てながら生活を
したことのある人であれば容易に想像がつく。
アニメはそのあたりはラッキーの連続である。
ま、アニメだし。
一方でおおかみ男である父は早い段階でいなくなる。
彼がなぜ早い段階で亡くなったのかは、あまり語られないが
ここにも原作者の思いが表れているように思う。
つまり男というのは生きた証しさえ残せれば
早々とこの世から消えていくものだ、という諦念である。
男にとっての生きる目的は自分の証しを残すことで
それは瞬間のできごとでしかない。
それがどんな形をとるかは人さまざまということなのだろう。

NHK Eテレの『日本人は何をめざしてきたのか』は
その一端を見せてくれているように思う。
これは久々に見応えのある番組だった。
どんな会長がアホでも、現場はスマート(賢明)でいてほしい。

青森県むつ市の初の原子力船寄港に始まって
六ヶ所村の核燃料再処理施設建設に至る下北半島に
地域振興政策がもたらした結果を淡々と描いて印象に残る。
札束で頬っぺたを引っ叩くような政策に翻弄され
生活の生業の場と引き換えに大金を手にした結果の豪邸も
想定通りにいかない経済の流れで寂れ果てる。
誰もその責任をとってはくれない。
未来を読むことなんてできないから、その日その日を大事に
しながら生きるというのが、この日本という地に住む人が培ってきた
生きる知恵だったはずだが、祭りについ舞い上がってしまう
特性もあって、時としてそういう地道さは忘れられてしまう。
再処理事業を止めるなら、処理済み核燃料の保管受け入れは拒否、
という六ヶ所村の決断は見ているこちらに
「当然だよな」と思わせて痛快である。
恩恵だけを受けて、ゴミ(廃棄物)には感知しないという
自分勝手な態度は強烈なパンチを食らっているのだ。

そもそも日々の生活では必ずゴミが出る。
特別に美味しいものを食べなくても
人は食べ物を口から入れて肛門から毎日屁やウンチ、尿を出している。
ツイッターで微分化しなくたって、毎日細胞は入れ替わり
生と死を絶え間なく再現している。
私たちはそれを意識できていないだけだ。

原発という一夜の夢にも似た生きた証しが欲しかった人たちは
廃棄物というゴミのことを考えることができなかった。
彼らには生活(生きるということ)がどういうものか
分かっていなかったからだ。
そういう彼らから何を得て、どう超えていくのか、
それが残された私たちにとっての課題だ。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic


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