2012年4月12日 (木)

賑わいでつながる世界

久々に渋谷へ出て、
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観る。
ちょっと待っていればギンレイへかかりそうな気もするが、
急に今観ておきたいという気持ちになって、
調べてみたら、もうほとんどどこの映画館も終了していて、
渋谷シネパレスでしかやっていなかったのである。

相変わらず渋谷は若いエネルギーに満ちていて刺激的である。
ハチ公前に常時人が一杯いるのは、待ち合わせが多いというより
なんとなく、そこにたむろしたい人が沢山いるからなんだろうと想像する。
シネパレスの受付でチケットを先に購入し、街をぶらつくことに。
座席表はがら透きで、これで映画館は大丈夫なのか?
とちょっと心配になるが、スタッフは感じよく
映画館自体もこじんまりときれいで気持ちがいい。

映画は9.11で父親を喪った息子の回復の物語だが
そのプロセスにちょっとひねりが効いていて、よかった。
ものすごくうるさくて、というのは息子のことか、
などと考えてみるが、映画そのものはまだ咀嚼できていない。
この回復のプロセスは、仕事柄ちょっと関心があるのだが・・。

映画の前には西武の食品館を冷やかし、
ついでにZARAとFOREVER21にも入ってみる。
FOREVER21では780円なんて価格のTシャツを売っている。
500円のもある。
ほとんど古着屋価格だが、これが立派に新品である。
いかにも大量生産といった感じで、同じものが何枚もあると
あまり買いたい気分は起こらないが、価格に食指が伸びる
という消費者もいるのかもしれないし、
こうやって、どこかの国の誰かの生活は成り立ち
買う側はセンスを磨くチャンスを得ているのかもしれない。
お金で差異を買う時代もあったが、感性がとって代わったということか。
価格の差が決定的な差を生まないという印象は
年々強くなっている感じがする。
デフレが先か、感性が先かはニワトリと卵みたいなものだが
感性の勝負ということになれば、モノの価格は限りなく下がるだろう。
なんとなくユニクロが独り勝ちの理由も分かるような気がする。
安いと財布の紐は緩くなり、数をこなすと気づきも多くなる
というメカニズムはたしかに働いているのだ。

翌日はレッスンの後、みんなで仲間のひとりの息子が
パティシエとして勤めている汐留シティセンタービルの
「フィッシュバンク東京」http://www.fish-bank-tokyo.jp/ へ。
平日限定のスペシャルランチはワンドリンクつきで、
下戸にはきんきんに冷やしたノンアルコールのワイン。
オードブルもパスタもミートプレートも盛り付けが美しくすこぶる美味。
なかでも特別サービスのウニのフランは絶品だった。
新橋のような都心の高層ビル(41階)で、
この価格でこのランチは相当お得である。
雨風予報が出ていたので食後はまっすぐ帰宅。
お腹いっぱいで夕食は食べられそうにないので
簡単な夕食を息子と夫に用意し、私はオレンジジュース。

レッスンで身体は疲れているし、早く寝そうだなと思いつつ
WOWOWの番組表を見ていたら、ドゥダメルとハービー・ハンコックの
「セレブレイト ガーシュイン」というコンサートがあった。
途中で寝てもいいように録画予約をし、見始めたら
これが実にエキサイティングで、最後のラプソディー・イン・ブルーでは
興奮してすっかり目が覚めてしまった。
ドゥダメルとガーシュインというだけでもワクワクするが
冒頭のキューバ序曲、パリのアメリカ人と観客をわしづかみに
したところでハンコックが登場。
「エンブレイサブル・ユー」
「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」の2曲を弾いた後、
ラプソディ・イン・ブルーへ。
これが見事にジャズとのコラボになっていて、
ハンコックのガーシュインを満喫する。
もともとガーシュインは、ほとんどジャズと言ってもいいくらいだが
ハンコックのおかげで、ふつうのクラシックではとうてい味わえない
土臭さというか人間くさいリズムが加わり、
ガーシュインはきっとこういう世界を作りたかったのだろうなあ
とまで思ってしまった。

調べてみたら、ドゥダメルは2009年にロサンゼルス・フィルの
音楽監督に就任しており、ハンコックは1998年には
「ガーシュインワールド」というアルバムを出している。
今回のコンサートは当然と言えば当然の出会いだろうが、
しかしなによりも感激的なのは、こういうコンサートを
居間にいてテレビで鑑賞できることだろう。

こうやって賑わいながら世界はつながっていくのだ。

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2011年1月24日 (月)

『わたしはじめ』

ディペックスのアンケートを報告書にまとめる仕事を
しなければならないのだけれど、ミーティングの日程が決まらないので
とりあえず先延ばしにして、昨日のバレエのレッスンで
課題になった振り付けを考える。

今年は発表会があるとかで、このところ日曜日のレッスンは
先生が選んだ曲にめいめいが振りをつけて
踊ってみるということをやっている。
曲は植村花菜の『わたしはじめ』
最初は音に合わせて体を動かすだけだったのが、
だんだん動と静のコンビネーションになっていき、
歌詞が表現している気持ちを表現するようになり
踊りもなんだか物語のようになってくる。

課題は曲の前半半分で、時間にすると2分程度なのに
最初の頃はこれが長くて長くて、なかなか埋まらずしばしば立ち往生。
ひとつには、スタジオで聞く音質が悪く、
歌詞がよく聞き取れなかったからでもある。
でも発表会で披露することがはっきりしたので
ネットで曲と歌詞をダウンロードし、歌詞を理解しながら振りを考える。
振り全体が固まってくると、今度は曲がやけに短く感じられて
踊っているとあっという間に終わってしまい、
うっかり振りを忘れるとすぐさま置いて行かれてしまう。

あらかじめ決まっている曲とか振り付けを習得して表現するのを
たしか複製芸術と言ったような気がするが、たぶん先生としては、
そこに留まっていないで、さらに一歩先へ進みなさいと言おうとしているのだろう。
高度な振り付けを覚えて踊るのだって決して簡単なことではないが
あらかじめ振り付けられた踊りというのは、
結構論理的にできているので、慣れてしまうと案外頭に入りやすい。
振り付けというのは身体言語の組み合わせみたいなものだから、
詩や文章を暗記するのと、よく似ているのだ。

ところが自分で振りを考えるとなると、まずは音に合わせて
勝手に体が動いてしまい、身体言語はランダムな言葉の羅列として始まる。
しかたがないので、それを忘れないように紙に書きつけておくのだけど
それを意味のある文節として自分の中に修めるには
何回も繰り返して体に筋書きとして覚えさせないと
無意識に体が動くというまでにならない。
まるで新しい文法に体を慣らしているみたいな感じだ。

私の中高時代にはダンスコンクールというのがあり、
学年別クラス別で創作ダンスを競い合ったものだった。
体育の授業でも創作ダンスの授業があり、
あがり症の私にとっては人前で踊りを披露することからして
最高に苦痛に満ちた授業だったが、ただひとつ目からうろこだったのは、
複雑な振り付けでなくても充分に表現になり得るという事実を知ったことだった。
今ごろになって、それが役に立っているなんて。
これも『わたしはじめ』なんだろうか。

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